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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2342号 判決

控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 川勝勝則

被控訴人 山田清行

右訴訟代理人弁護士 土肥倫之

被控訴人 杉慶雄

右訴訟代理人弁護士 鶴田晃三

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の当審で拡張した請求を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは各自控訴人に対し、次の金員を支払え。

金七九七万五九七八円及び内金五〇〇万円に対する昭和三三年七月五日から、内金一万〇八〇〇円に対する同三六年一二月三一日から、内金一万三九〇〇円に対する同三七年一二月三一日から、内金一万五〇〇〇円(控訴人の昭和四九年一〇月八日付訴変更申立書一枚目裏終から二行目に一五〇〇円とあるのは誤記と認める。)に対する同三八年一二月三一日から、内金四万五〇〇〇円に対する同三九年一二月一四日から、内金四万〇一〇〇円に対する同四〇年一二月一七日から、内金二万六七〇〇円に対する同四一年一二月一四日から、内金二五万二五〇〇円に対する同四二年一二月一六日から、内金三六万四三三五円に対する同四三年一二月六日(右訴変更申立書二枚目四行目に一六日とあるのは誤記と認める。)から、内金四万二四三九円に対する同四四年一二月五日から、内金一一万三五五二円に対する同四五年一二月八日から、内金一五万六一一〇円に対する同四六年一二月九日から、内金二〇万九〇四二円に対する同四七年一二月七日から、内金九〇万円に対する同四八年九月三〇日から、内金八〇万円に対するこの判決確定の日から各完済に至るまで年五分の金員。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  被控訴人ら

主文第一、二項同旨

第二当事者の主張

当事者の主張は、次のとおり訂正付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、ここに引用する。

一  控訴人の請求原因三(七)、(八)、四及び五を次のとおり訂正する。

(七) 控訴人は、昭和四二年秋ころからは身体の不調感がひどく特に眠っても疲労が抜けず勤務を休むことが度度となり、頭痛、嘔吐が頻繁に起り、眼球に激痛を生じ、このような状態は昭和四九年ころまで続き、その後は治療を受けた結果いく分快方に向ったが、現在に至るまで正常な事務職勤務が出来るような状態になっていない。

(八) 右(二)ないし(七)の症状は、本件事故に基因する頭頸外傷症候群(いわゆる鞭打ち症、「鞭打症」という。)後遺症である。

四 控訴人は、右後遺症により次のとおり損害を被ったから、被控訴人らはこれを賠償すべき義務がある。右損害と被控訴人らの賠償義務が遅滞に陥った日は、以下のとおりである。

(一)  治療費及び交通費 一五万六八一一円

とこれに対する遅延損害金

年度

金額

遅延損害金の起算日

昭和三六年

一万〇八〇〇円

同年一二月三一日

同三七年

一万三九〇〇円

同年一二月三一日

同三八年

一万五〇〇〇円

同年一二月三一日

同三九年

一万六〇〇〇円

同年一二月一四日

同四〇年

一万九一〇〇円

同年一二月一七日

同四一年

二万二三〇〇円

同年一二月一四日

同四二年

二万二五〇〇円

同年一二月  六日

同四三年

三万七二一一円

同年一二月  六日

(二)  逸失利益

控訴人は、本件事故前から昭和四八年九月三〇日に退職するまで訴外社団法人日本ホルスタイン登録協会(以下「訴外協会」という。)に勤務していた。

控訴人は、本件後遺症のため欠勤を余儀なくされ、その結果、訴外協会からボーナス減額の制裁を受け、同額の損害を被った。その年度、金額及び損害発生の日は、次のとおりである。

年度

金額

遅延損害金の起算日

昭和三九年

二万九〇〇〇円

同年一二月一四日

同四〇年

二万一〇〇〇円

同年一二月一七日

同四一年

四四〇〇円

同年一二月一四日

同四二年

三万円

同年一二月一六日

同四三年

一二万七一二四円

同年一二月  六日

同四四年

四万二四三九円

同年一二月  五日

同四五年

一一万三五五二円

同年一二月  八日

同四六年

一五万六一一〇円

同年一二月  九日

同四七年

二〇万九〇四二円

同年一二月  七日

また、控訴人は、本件後遺症のため訴外協会から退職せざるをえなくなったが、在職中右後遺症のため勤務状況がよくなかったので、退職金は普通に勤務した場合の半額の九〇万円の支払を受けたに止まったから、九〇万円の損害を被ったものというべきであり、右損害が発生し被控訴人らの右損害の賠償義務が遅滞となった日は前記退職の日である昭和四八年九月三〇日である。

(三)  慰藉料

控訴人は、本件事故に基因する本件後遺症により肉体的精神的苦痛を被ったのみならず、それが原因となって婚期をも失するに至った。また、控訴人は、昭和三六年ころからフランス語教授の資格を得て同年には一人月五〇〇〇円、昭和四三年には一人月六〇〇〇円の割合で毎月五ないし六人を教えることができた筈であるのに、本件後遺症のために毎月二ないし三人に限定することを余儀なくされた。さらに、訴外協会に勤務中、控訴人は、本件後遺症のため良好な勤務状態を保持することができなかったため、昭和四五年以降控訴人の昇給は停止され、この状態が退職時まで続いた。そして、退職後も控訴人は治療に専念することを余儀なくされて就職出来ない状況にあり、今後少くとも五年間はかかる状態が続くものと思われる。

右諸事情(なお、控訴人の昭和四九年一〇月八日付訴変更申立書第二(四)1(1)に「事故による」は「後遺症による」との誤記と認める。)による控訴人の精神的肉体的苦痛を慰藉するための慰藉料としては、五〇〇万円が相当であり、被控訴人らの右慰藉料支払義務は本件事故の日である昭和三三年七月五日から遅滞に陥ったものというべきである。

(四)  弁護士費用

控訴人は、本訴を提起するため、控訴人訴訟代理人弁護士川勝勝則に訴訟委任をすることを余儀なくされ、同弁護士に対し、二〇万円を支払い、八〇万円の支払を約した。右弁護士費用は、本件後遺症と相当因果関係のある損害であるから、被控訴人らはこれを賠償すべき義務があるものというべきであり、右義務が履行遅滞となるのは、二〇万円については昭和四三年一二月六日であり、八〇万円についてはこの判決確定の日である。

五 よって、控訴人は、被控訴人ら各自に対し、本件後遺症によって生じた損害の賠償として、控訴人の申立2のとおりの金員の支払を求める。

二  被控訴人らの主張として、次を付加する。

1  控訴人主張の本件後遺症は本件事故と相当因果関係がない。本訴は本件事故後一〇年を経て提起されたものであり、控訴人は本件事故後三年間位は格別異常はなく、控訴人がその主張に副った診断を医師から得たのは事故後一三年余りを経たのちであるが、その間における控訴人の年令の変化、治療の継続、生活環境の変化等を考慮すると、本件事故と控訴人主張の本件後遺症との間には相当因果関係があるとは考えられない。

2  控訴人主張の損害の発生は、いずれも否認する。

第三立証《省略》

理由

一1  控訴人主張の日時場所において本件自動車の転落事故があったことは、控訴人と被控訴人山田との間においては争いがなく、控訴人と被控訴人杉との間においては、《証拠省略》によって認めることができる。

2  《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  本件転落事故は、被控訴人山田清行が本件自動車を運転し、助手席に訴外吉田修が、後部座席の運転手のうしろの席に訴外吉田敏子が、その横に控訴人(当時二二年)がそれぞれ乗車して走行中、前記国道から約五メートル下の田圃に土手に沿って転落し、車体が仰向けになって停車した、というものであった。

(二)  控訴人は、右事故の直後事故現場近くの訴外財団法人済生会大月病院において医師岩田豊助の診断を受け、全治約二週間の顔面打撲症、左肘関節部挫傷の傷害を負ったと診断された。

(三)  控訴人は、同病院に二日間位入院したのち、当時居住していた東京都杉並区のアパートに戻ったが、昭和三三年七月七日ころ荻窪病院に入院し、同月一〇日医師吉川忠直から頭部外傷、左前腕部挫傷の傷害により約二週間の安静加療を要するとの診断を受け、次いで同年八月二八日同病院の医師吉沢英一から、同月二日施行した鼻部検査のためのレントゲン写真撮影の結果、著変なしとの診断を受けた。

3(一)  《証拠省略》を総合すると、控訴人は、高等学校在学当時は健康体であったが、本件事故後昭和三六年ころまでは季節の変目に頭痛を感じたりし始め、同年春ころには鼻がつまり、疼が出始め、手足にしびれを感ずるようになり、乱視も現れ、昭和三七年ころには吐気、頭痛に襲われ、昭和四一年七月ころから一年半位の間はいつもじんま疹が発疹し、昭和四二年九月ころから右頭痛、手足のしびれがひどくなり、また、昭和四三年ころには眼球に痛みを覚えるようになった、との事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない(以下、右症状をまとめて「控訴人の症状」という。)。

(二)  《証拠省略》によると、控訴人は、(1) 昭和四三年三月九日、同年四月一三日、同月一七日の三回にわたり医師小暮巽の診断を受け、同医師から傷病名を鞭打症、同症による後遺症と診断する旨の診断書(甲第四号証の八ないし一〇)の交付を受け、(2)同年六月医師竹内惟義の診断を受けた際、頭部外傷後遺症疑と診断する旨の診断書(甲第四号証の一一)の交付を受け、(3)次いで、昭和四七年一月五日医師坂口昭五に対して診断を求め、同医師から、同年一一月二〇日傷病名を頭頸外傷症候群と診断する、右傷病は交通事故に起因すると考える旨記載した診断書(甲第一五号証)の、また、昭和四八年一〇月三一日に右と同一の傷病と診断する旨記載のある診断書(甲第一八号証)の交付を受けたことをそれぞれ認めることができる。

4  前記2(一)に認定の本件事故の態様並びに右3(一)及び(二)の事実によれば、本件交通事故と控訴人の症状との間に因果関係の存在を肯定しうるが如くである。

二  しかしながら、以下の諸点を考えると、右の因果関係を肯定することは出来ない。

1(一)  控訴人が、本件交通事故の直後、頸椎及びその繋止装置(靱帯、関節包、椎間板節)の損傷を受けたとの自覚を有していたこと、当時診断に当った医師に右損傷を疑わせる事実を訴えたこと、また、当時控訴人が右損傷を被ったかもしくはその可能性があると診断した医師がいたこと等の事実は、本件全証拠をもってしても認めるに足りない。

(二)  《証拠省略》によると、控訴人は、昭和三二年ころから昭和四一年六月ころまでフランス語を修得するためアテネフランセに通学し、ことに昭和三六年から同三七年にかけては集中的に通学し、昭和四一年六月三〇日同校高等科第二学年を卒業したこと、控訴人は、昭和三四年ころには、右のように昼間はアテネフランセに通学するとともに夜はバーでアルバイトをし、しかも男性と同棲生活を送っていたこと、また、控訴人は昭和四二年三月一八日から同年四月二八日まで団体の一員としてであるが、フランスを旅行したこと等の事実を認めることができるところ、右事実によれば、控訴人の症状(一、3、(一)参照)は、それほど重くなかったことが推認される。

(三)  《証拠省略》によると、控訴人の症状のうち、じんま疹及び蓄膿症は鞭打症候群に通常伴うものではなく、また、その余の症状は鞭打症候群固有のものとはいえず、それらは鞭打ち損傷に基づかない自律神経失調症等の不定愁訴症候群にもみられることが認められる。

2  《証拠省略》によれば、訴外小暮は、前示のように控訴人に対して、鞭打症、鞭打症による後遺症と記載した診断書を交付しているが、同訴外人は、本件事故から一〇年近く経過した昭和四三年三月に控訴人の主訴と控訴人が持参した資料から知りえた本件事故とを結びつけて事故による鞭打症、その後遺症と推定したというのであり、また、右診断書は控訴人が通院のための欠勤理由を勤務先に示すために提出するものと信じ、軽い気持で作成したにすぎないことが認められる。したがって、甲第四号証の八ないし一〇は、その記載どおりの証明力を有するものと認めることは出来ない。

3  また、甲第四号証の一一の診断書は、前認定のように、医師竹内が控訴人を診断して作成したものと認めることは出来るが、右診断書の記載は確定的診断を記載したものでないことはその記載文言からみて明らかであるうえ、右診断がいかなる事実に基づいてされたものであるか明らかでないから、右甲第四号証の一一も直ちに措信するわけにはいかない。

4  次に、甲第一五号証、同第一八号証及び当審証人坂口昭五の証言を検討する。

(一)  前掲甲第一五号証、同第一八号証、右証言によりいずれも医師訴外坂口昭五が昭和四七年一月五日撮影した控訴人の頸椎部のレントゲン写真であることが認められる甲第一六号証の一ないし五及び右証言によると、訴外坂口は、右同日控訴人を初めて診断し、問診、右レントゲン写真に基づき、控訴人の傷病名を頭頸外傷症候群と診断し、右症状は、(1)第二頸椎の歯突起がやや右の方に傾斜しており、左右の間隔が対称でない(甲第一六号証の一)、(2)第二頸椎の歯突起の真下の棘突起の影が体の軸に対して時計の逆回転の方にずれている、(3)第四椎間孔が著しく前後に狭少化し、第四椎体が前方に傾斜している、(4)第四、五頸椎が少しずれているが、それはこれらを覆っている靱帯及び靱帯についている星状神経節に損傷が及んでいる可能性がある、(5)第七頸椎の上関節突起の下に剥離骨折の跡が認められる、ことによるのであり、これらの異常は交通事故によるものとしていることが認められる。

(二)  しかしながら、《証拠省略》によれば、(1)甲第一六号証の一のレントゲン写真は、フィルム面に対し左右対称でない体位において撮影されているから、実際に、第二頸椎の歯突起が左右対称でないと断定できるかどうかに疑問があり、(2)第二頸椎は、頸椎のうちで最もよく運動するところであり、頭部を左屈した場合、第二頸椎の歯突起が右に傾斜することは、異常な病変であるとはいえない、(3)控訴人に椎間孔の狭少化が認められるが、その位置は、控訴人の症状、前記レントゲン写真から判断すると、第四椎間孔でなく第三椎間孔でないかとの疑いがあるうえ、椎間孔の狭少化は、体質等によっては若年者であっても退行性変成の結果生じうる等の事実を認めることができ、これらの事実に照らすと、前掲甲第一五号証、同第一八号証及び証人坂口昭五の証言によっては、控訴人の症状を本件事故に基因する鞭打症の後遺症又は頭頸外傷症候群によるものであるとは断定しえないものというべきである。

5  また、《証拠省略》には、医師坂口昭五の前記診断を正しいとする等控訴人の主張に副う記載があるが、その正しいとする論拠が、医師坂口は現実に控訴人を診断し、そのうえで具体的裏付をもってなされたことをあげるのみで、自ら控訴代理人川勝勝則から示された資料を医学的に分析してしたものでないか、少くともその判断過程が明示されていない等私的鑑定としての証明力にも疑問があり、右記載を直ちに措信することはできない。

6  そして、本件全証拠を総合して考えても、当裁判所もまた本件事故と控訴人の症状との間に相当因果関係があるものとは認めることができない。結局、本件事故から本訴提起までの一〇年の歳月が事の真相の把握を困難ならしめたものといえ、立証責任の原則に従えば、被控訴人らに控訴人の後遺症による損害につき責を負わせることはできないというべきである。

三  以上認定したところによれば、控訴人の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、すべて理由がないものというべきである。したがって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから民訴法三八四条によりこれを棄却し、また、当審で拡張した請求を棄却し、控訴費用の負担については同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安藤覚 裁判官 石川義夫 柴田保幸)

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